システム思考とSTAMP

世の中のいろいろなモノやコトを「システム」として考えることと、その道具の一つであるSTAMP/STPAについて。

「システム安全」について

前回の記事で、自動車に関する事故事例を取り上げ、その原因をSTAMPを使って考えてみた。その事故事例においては、「自動車」をシステムと捉えて安全を考えるのではなく、「自動車」と「ドライバー」をコンポーネントとする「システム」を対象として安全を考えるべきだろうと書いた。

 

「システム安全」という言葉はよく使われるが、それが何を指す概念なのかは、実はそんなに単純というか自明ではないかもしれない。改めて、「システム安全」について考えてみる。

 

「システム安全」とは

「システム安全」のように、名詞を並べた複合語はその意味が分かりにくい場合がある。

(例えば、"DX"は、「DigitalによるTransformation」だが、「DigitalにTransformation」という意味で使われる場合を散見する。)

助詞を補うとすると、「システム安全」のことだろう。

 

システム」とは何か。システム理論では「相互に作用しあう要素の集合」と定義される。(参考:モノづくりの本当の意味、面白さ - システム思考とSTAMP (hatenablog.com)

 

安全」とは何か。STAMPでいうところの定義としては、「許容できない損失を伴う事象が起きないこと」であり、「損失」とは人命の損傷に限らず、経済的損失や知財の損失、信用の喪失なども含む概念である。

 

「システム」と「安全」の概念に対するこのような定義に基づき、「システム安全」とは、対象の「システム」がその全体的性質として「安全」が保たれるような性質を有していることを指す、と言えるだろう。

 

 

「〇〇の安全性」というとき、何を「システム」と捉えればよいのか。

 

例えば、「自動車の安全性」について話をする場合、「自動車」というシステムだけを考えるのでは不十分だと思われる。

 

自動車を運転するドライバー、自動車が走行する道路、道路上にある信号機標識歩行者、さらに、それらの振舞いに意味や制約を与える法規など、様々な要素が相互に複雑に作用しあって、その「全体」として「安全性」が創発されたり「危険性」が創発されたりするものと考えるべきであろう。

 

したがって、「自動車の安全性」について議論する場合、上記のような要素を全体俯瞰し、全ての要素の相互作用を考えることが、本来は必要な筈である。

 

つまり、「自動車の安全性」についての議論は、上記のような要素を全て含むものを「システム」とした「システム安全の話の筈である。

 

しかし、そのような広大な「システム」の全てを見渡し、設計できるような権限や能力を持つ人はめったにいない。

例えば、自動車メーカーは、法規を作ることはできない。

そこで、現状の法規に基づき、また、道路の状況やドライバーなどの振舞いを「想定」し、その上で「自動車」が果たすべき安全責務を自ら考え、それを自動車の設計に反映する、ということをやっているのだろうと思う。

 

本来は、大きな「システム」全体を見て、その「システム」全体の創発としての安全を考えるべきなのだが、それは現実的に難しい。

そこで、例えば要素の一つである「自動車」にスコープを設定し、それ以外の要素の振舞いは固定なもの(所与のもの、定数)として想定し、「自動車」という要素(コンポーネント)の安全責務を考えるというやり方を、やむを得ずやっている、と見るべきだろう。

 

「自動車の安全性を考える」と言って、自動車をシステムと捉えてその内側を議論するのは、本来、不適当なのだろうと思う。

 

現実には、そういうことはよく行われる。それは、上記のように、「本来やるべきことが現実的に難しいので、敢えてそうやっているのだ」という認識(イメージ)を持って話したり聞いたりすべきではないかと思う。