身の回りの世界は「秩序」でできている、と思う。
というか、無秩序、混沌とした世界であったら、まともに生活できないし、そもそもこの世界の存在もないだろう。
例えば、朝起きて顔を洗う。洗面台の蛇口から水が出る。水は、洗面台のボウルが受け止め、排水口から流れていく。
当たり前のことのようだが、これも「秩序」だろう。
無秩序であったら、水は勝手なときに勝手な量が出て、周辺に飛び散り、床は水だらけになる。
「蛇口」とか「ボウル」が、そこに秩序を与えている。
「水」自体も秩序で出来ている。水素と酸素が組み合わされて出来ている。電子が無秩序に存在する世界であったら、「水」という性質は起こりえない。
地球上の気候も秩序だし、地球自体も、宇宙全体も、「混沌」からかけ離れた存在であり、一定の秩序によって成り立っている。
「創発性」とは、システムの個々の要素の単純な総和にとどまらない性質がシステム全体として現れることであるが、これは、秩序の形成である。
以前の記事、システムの「階層」について - システム思考とSTAMP (hatenablog.com)や「コントロール」について - システム思考とSTAMP (hatenablog.com)に書いたように、創発性は、下位レイヤーの要素に対する制約から生まれ、その制約を与えるのがコントロールである。
「蛇口」は蛇口メーカーが、「ボウル」は洗面台メーカーが、好ましい創発性が生まれるようにコントロールを設計しているのである。それによって秩序が形成され、水びたしにならない、快適な生活ができているのだ。
同様のことが、宇宙全体にも言えるし、我々の身体(生命)にも言える。生命とは何か、なぜ生まれてきたのか、というモヤっとした疑問を考える糸口になると思う。
(ただ、誰がそのコントロールを設計したのだろうか、という疑問に大きく突き当たることにはなるだろう。)
秩序や混沌の程度を表すものとして「エントロピー」という概念がある。
福岡伸一先生は、生命現象とは「エントロピー増大の法則」に抗う活動である、とおっしゃっている。我々の身体は一定不変ではなく、常に細胞が生まれ変わり、変化している。一定不変のものであったら、「身体」という秩序が、エントロピー増大の法則に沿って無秩序化していくかもしれない。古い細胞を新たな細胞に置き換え続けるという「動的平衡」によって生命が維持されている、ということである(※)。
また、イリヤ・プリゴジン先生の散逸構造論、自己組織化論とも関係するだろう。
このあたりは、もう少し調べて理解を整理したい。
※参考:
生命観を問い直す アカデミーヒルズ (academyhills.com)
生物学者・福岡伸一教授が語る「生命は破壊と創造の連続」(オルタナ) - Yahoo!ニュース