システム思考とSTAMP

世の中のいろいろなモノやコトを「システム」として考えることと、その道具の一つであるSTAMP/STPAについて。

"Engineering a Safer World" について

STAMPの基礎から応用までをカバーし、STAMPのバイブル的存在とも言える  "Engineering a Safer World" 。そのタイトルは、じっくり眺めると、奥深いものがあるように感じられてくる。

著者のNancy Leveson教授に聞いたわけではなく、あくまでも個人的な、勝手な想像と解釈であるが、思うことを記してみる。

 

"World" について

この本では、一貫して「システムの安全」について述べている。したがって、"Engineering a Safer System" というタイトルでもよさそうに思える。むしろ、その方が内容を直接的に表しているかもしれない。 "System" ではなく "World" としたことに、何か意味はあるのだろうか。

"Engineering a Safer World" には、次のように書かれた箇所がある。

While system engineering was developed originally for technical systems, the approach is just as important and applicable to social systems or the social components of systems that are usually not thought of as “engineered.”

システムエンジニアリングは、もともとは技術的なシステムのためのものであったが、通常 "engineered" なものとは考えられていない社会システムや社会の構成要素にも適用できる」と言っている。単に"System"というと技術的なシステムと捉えられることが多い、という認識に基づき、「STAMPは、技術的なシステムだけを対象としているのではない」ということを強調するために "System" ではなく "World" という言葉を使ったのではないだろうか。

また、次のように書かれた箇所もある。

At the same time, the complexity of our systems and the world in which they operate has also increased enormously.

「私たちの(作る)システム、および、それが稼働する世界の複雑さも著しく増大している。」と言っている。我々が作る技術的なシステムだけを見ていたのでは、安全は得られない。そのシステムとそれが動く環境(世界)との相互関係も含めて見なければ安全は得られない、ということであろう。

本書でも、技術的なシステムだけでなく、それを開発する組織や利用者、関連する法律やルールなども含めた全体を「システム」としてSTAMPの分析対象とした例が示されている。

書名において敢えて "World" という言葉を選択したのならば、この世界全体を「システム」として捉えるべきだ、という意味が込められているのではないだろうか。

 

"Safer" について

"Safe" ではなく、"Safer" としていることには、何か意味があるのだろうか?

以前の記事にも書いたように、完璧に安全が保証されたシステムを作ることはできない。「より安全な」システムを作ろうとすることしか、できないのではないか。

作ったシステムが稼働する環境(環境を含めた全体もシステムである)には、無限の可能性・状況があり、時間の経過とともに変化もする。その全てを想定し切ることはできない。今日安全でも、明日安全である保証はない。常に、「より安全」を求め続けることしかできないし、システムの提供者にはそうする責任がある。そういう意味が、"Safer" には込められているのではないだろうか。

 

"Engineering" について

エンジニアリングとは何だろうか?

「科学を実用化し、人間の生活に役立てることを目的とする技術」という説明がある。(参考:エンジニアリングとは (waseda-applchem.jp)

Wikipediaでは、「基礎科学を工業生産に応用する学問」と書かれている。

いずれにしても、「科学的」なアプローチであると理解できる。

 

では、「科学的」とは何だろうか?

ググってみる。例えば、

“科学的”であるということ | 京都大学理学研究科・理学部 (kyoto-u.ac.jp)

によると、次の2つの性質が重要であるとされている。

  • 再現性があること:ある事柄について考えたり調べたりする時、その方法が同じならば、いつ・どこで・誰であったとしても、同じ答えや結果にたどり着くことがあること
  • 因果関係が明確であること:原因と結果の関係がきちんとあること

 

ここで、以前の記事に書いたことを振り返ってみる。

「安全は創発性」であり、「創発性は、要素の振舞いについての完全な知識があっても、演繹されえない」のである。

「演繹されえない」ということは、一般的なルールを作ることができない(難しい)ということであろう。そのようなタイプの問題に対して、再現性がある(誰でも同じようにできる)方法論を構築するのは無理難題に思える。

美しい工芸品は、「その道、何十年」の匠の技によって作られる。「このようにやれば、誰でも匠と同じように美しい工芸品を作れる」という方法論(一般的なルール)は存在しないはずだ。

安全は創発性であり、演繹されえないのであれば、安全も、本質的には「匠の技によってなされる」類のものに思える。

しかし、人間の健康や社会・経済を維持するための基盤は、「匠の技」に頼る方法で作るわけにいかないだろう。客観的に妥当性を説明でき、合意を得られるような方法が必要なのだ。

Nancy Levesonが、あえて"Engineering"という言葉(他動詞)を付けたのは、そのような無理難題に挑戦する(その必要があるのだ)という強い意思と覚悟の表明なのではないか。

 

"Engineering a Safer World" の書名に込められた(と思われる)意味

以上のように考えてみると、このタイトルには、「より安全な世界を追求する永続的な活動」のための方法論を「エンジニアリング」として作り上げるという、壮大な挑戦への強い思いと覚悟が込められているのではないか、と思えてくる。

 

なお、これは完全に個人的な、勝手な想像と解釈であり、実際のことは分からない。(思い過ごしの部分がかなりあるような気もする。)

しかし、このように思いを巡らせるのも楽しい。