企業等の組織もシステムです。
営利企業であれば、組織の目的は「高い利益を得ること」と言えるでしょう。組織をマネジメントする立場の人は、その目的を得られるように組織を運営することが役割となります。
システム理論に則した言い方をすれば、「組織の運営とは、システム全体の性質(創発性)が、高い利益を得るのに適したものとなるように、システムの構成要素間(社員どうし)の相互作用を実現することである」という言い方ができます。
こう書いてみれば、ごく当たり前のことを言っているのですが、現実には、これに反するようなやり方が行われていると感じることがあります。
1990年代後半頃から、人事評価の制度として「成果主義」という考え方が取り入れられ始めました。個人の仕事の成果を評価基準としてボーナスや昇格を決めるという考え方です。それまでの「年功序列」の考え方では、能力や仕事の成果にはあまり関係なく、年齢を重ねれば昇格し、給料も上がっていました。成果主義の導入は、若くて能力が高い人に多くの報酬を与えることで良い人材を確保し、会社の業績を高めたい、というのが企業側の思惑でしょう。社員の側としても、年齢に関係なく高い給料を得られるチャンスが生まれ、歓迎すべき制度といえるかもしれません。
しかし、この制度を実際に運用するにあたり、「成果」をどのように評価するかが問題になります。各社員が行う業務内容は、担当分野の違いによって異なります。異なる種類の業務の「成果」を、横並びで比較評価する必要が生じるわけです。
そこで、各個人の成果を客観的に評価する仕組みが考えられました。客観化とは、ほぼイコール「数値化」のことです。よくあるのが次のようなやり方です。
年度の初頭に各社員が「今年度は、これだけの成果を上げます」という目標を客観的な表現で宣言します。そして、年度の終わりに、「結果的に、これだけの成果を上げられました」という報告を客観的に行います。評価者(上司)は、その目標値と結果の値から「達成度」を算出します。「達成度」という数値になれば、異なる業務でも同じモノサシで測ることができるわけです。
上司のマネジメント的な役割としては、月次会議などで部下の目標値に対する「達成状況」を確認すること、遅れている場合に挽回のためのアドバイスをすることなどが主なものとなります。
各個人の目標は、典型的には、
- 会社全体の目標を達成するために必要となる各部門の目標を設定する
- 各部門の目標を達成するために必要となる各グループの目標を設定する
- 各グループの目標を達成するために必要となる各個人の目標を設定する
という考え方で設定されます。
各個人が目標を達成すれば、グループの目標が達成され、部門の目標が達成され、結果的に会社全体の目標が達成されるという考え方です。
これは一見、とても合理的に見えますが、「創発性は還元できない」というシステム理論の考えに立てば、そんなに単純にうまくいくとは思えないやり方です。
このやり方が、どれほど難しいことをやろうとしているのかは、例えばサッカーチームの監督の仕事に当てはめて考えてみれば分かりやすいでしょう。
サッカーチームも「システム」です。目的は、試合に勝つことです。チーム全体として、試合に勝てるような性質を創発させることが監督の役割となります。
そこで、ある監督が、試合に勝つためにはどうすれば良いかを考えた結果、選手一人ひとりに対して、ランニングの総距離、パス成功率、シュート数などを「個人目標」として与えたとします。選手全員が自分の目標を達成すれば、試合に勝てるはずだと考えたわけです。
試合が始まり、ハーフタイムを迎えます。そこで監督は、各選手の個人目標に対する達成度を確認して、後半には必ず達成するようにハッパをかけます。さて、試合の後半、選手はどのように振る舞うでしょうか?パス成功率の目標を達成するため、パスが通りやすいところで沢山パスを出す。シュート数の目標を達成するため、目の前に相手チームの選手がいようと構わずシュートを打ち、ブロックされる。
このようなやり方が試合に勝つために有効ではないことは、サッカーに精通した人でなくとも分かるでしょう。
試合に勝ったとき、その要因をパスの成功率などの指標に基づいて分析することは比較的容易にできますが、その逆の因果関係(「指標値がこうなら勝てる」)を分析することはほぼ無理なのです(※1, ※2)。
しかし、企業ではこれと同じことが起きているわけです。
年度の後半になると、各社員は自分の目標を如何に達成するかに意識が集中し、上司は、部下に目標を達成させることに躍起になる、ということが起こりがちです。誰かに仕事を提案したり頼んだりしても「それは、私の目標にないので」と言って拒否されたりします。組織はそのような様相を呈していくのです(※3)。
成果主義を導入した人事部は「論理的に正しく、抜け目なく制度設計したはずだ」と言うでしょう。それはその通りなのでしょうが、違うのです。そういうことではないのです。
「木を見て、森を見ず」と言います。一つひとつの木については正しいことを言っていても、森全体について正しいこととは限らないということです。
正しいことを積み上げても正しくなるとは限らない。それが、システム理論の教えなのです。
サッカーの話でいえば、試合の状況を俯瞰的に見て、その状況に応じた各選手間の最適な関係性、連動性を見出すことが必要なのです。試合前に、「各選手がこのようなルールに従って動けば勝てるはずだ」という「ルール」を論理的に導出することは、不可能といっていいほど難しいことなのです(※4, ※5)。システム理論でいう「創発性は還元できない」とは、そういうことです。
上に書いた「個人成果主義」の人事制度は、その「要素還元」という、とてつもなく難しいことに挑戦しているのです。会社の経営者や人事部は、そのような認識を持つべきであり、「合理的な制度を導入したから、社員がそれに従えばうまくいくはずだ」などという考えを安直に持つべきではないと思います。
組織の管理者は「システム」を扱っているのであり、したがって、システム理論の素養が必要なのです。
※1:KPIとはそういうものであるが、KPIを目標として使っているケースが多い。
※2:個人目標を、「〇m以上の縦パス回数」「バイタルエリア内への侵入回数」などのように精緻なものにしたとしても、話の本質は変わらない。
※3:誇張した話ではなく、現実に見てきた事実である。
※4:STAMP/STPAの誤解しやすいところ - システム思考とSTAMP (hatenablog.com) に書いたように、扱う問題の複雑性が高くなければ、還元的なアプローチが有効な場合もある。しかし、サッカーチームと同等かそれ以上に、会社の組織の複雑性は高いと言えるだろう。
※5:そのようなルールを作ることが無意味なわけではない。完璧なルールはあり得ないことに注意すべきであり、「ルールに従ってさえいれば良い」という意識に陥ること、ルールが十分条件であるかのように捉えてしまうことは良くないということである。