「見える化」という言葉はよく使われます。肯定的な意味の文脈で使われる場合がほとんどではないでしょうか。
しかし、見える化にはネガティブな面もあると常々思っています。
その理由について、結論を先に言うと、次のように整理できます。
- 「見える化」は、本当に見たい対象の一部の側面しか見えない。
- そうであるにもかかわらず、「見えること」しか見なくなりがちである。
「見える化」の何が問題か
今まで見えにくくて困っていたことについて、なんとかして見えるようにできないか、と悩んでいた人にとっては、「見える」ようになることの有難みがよく分かるでしょう。それは、「なんとかして見たい対象」のイメージが頭の中にあるからです。一部の側面しか見えなくても、そこから、見たい対象の本質的なイメージを描くことができるのです。
しかしながら、「本当に見たい対象」のイメージが頭の中になく、最初から「見える化」された状態しか知らない人にとっては、見えるものが全てに思えてしまうでしょう。
「見える化」は、見たい対象のほんの一面しか見せていない、ということに注意が必要なのです。
例えば、企業では、KPI(Key Performance Indicator)というのが大流行りです。個人や、チーム、グループの日々の活動がどれくらい効果をあげているかを数値にして見える化しようということです。それを見て、日々の活動のやり方を振り返り、改善していくのが本来のKPIの使い方です。
「日々の活動を効果的なものにする」ということは、チームリーダーにとって悩ましい課題です。無闇にアレコレ試してみても、うまくいく確率は低いでしょう。それが、一部の側面ではあっても、活動の効果が数値になって見えるようになれば考える拠り所になります。悩んでいたチームリーダーにとっては、KPIという見える化は嬉しいツールなのです。
しかしながら。KPIが導入されてしばらく経った組織は、様相が異なってきます。「KPIの数値が良いということは、活動がうまくいっているということだよね」となり、マネージャーは、KPIが良いと安心し、悪いと大慌てするようになります。チームのメンバーは、そういうマネージャーの様子を見て、なんとかしてKPIを良くしようとします。そういう空気が蔓延するチームになっていきます。
その状態で入ってきた新入社員は、KPIを良くすることが仕事だ、といった誤解を持ってしまいます。
すなわち、KPIが目的化してしまうのです。
例えば、企業内で生産品質を高めるための施策を考え、展開することがミッションの部門では、実際に生産品質が良くなることがその部門の成果の本質のはずです。しかし、それは分かりにくい(数値化しにくい)ので、作ったガイドラインや支援ツールのダウンロード数や利用回数などをKPIとしたりします。それを参考として見る分には良いのですが、そのKPIが目標になるとおかしなことになります。品質を高めることで人に喜ばれる、という意識を持ってこそやりがいを感じられる筈なのに、目の前のKPIばかりをみる毎日になってしまいがちです。
喩えて言えば、打率などの個人成績だけを目標とする選手が集まったプロ野球チームのようになるのです。
組織の運営とシステム理論 - システム思考とSTAMP (hatenablog.com) で、成果主義の弊害について書きましたが、それも見える化の弊害の一例と言えます。
モデリングも「見える化」
見える化の弊害についてばかり書きましたが、もちろん、見える化は強力なツールです。「モデリング」とは、関心のある対象について、関心のある観点で切り取った一面を見えるようにすることですが、様々な分野の問題解決において重要かつ効果的な手段であることは疑う余地がありません。
しかしながら、モデリングについても、上に書いた「見える化」の弊害に相当する落とし穴があると思います。モデリングも、飽くまでも一面を見ているだけなので、それを全てだと思っては危険なのです。